例会 第1234回 令和5年 8月24日

目次

会長挨拶

 学童アンカーより松島様。ようこそ。

同じくアンカーより渡辺様。中峰様。ようこそ

今日はオープン例会ということで、オブザーバーで金子様さん。ありがとうございます。

この後、学童アンカーの3名のからお話いただくことになってますので、地域のこととか、今やってる活動、色々教えていただければなと思いますので、よろしくお願いします。
話を聞いてるとですね、信一さんとか色々繋がってる方がクラブの中でもいらっしゃいますので、
自分たちのやってる活動っていうのがどういう結果で、どういうとこに繋がってるかとか、知ってるようで知らないこともたくさんあるんだなっていうのが、前にお伺いさせていただいた時に、気づいたことですね。

その時、この人も、この人もっていう人の名前がぞろぞろ出てきて、
意外と遠くにあるようで、実はなんか近くで、そういう活動が行われてるってことが、今日また改めて、勉強させてもらいながら、気付けるかなと思いますので、今後のうちの奉仕活動のヒントに、 あの、また奉仕活動の一部として、何かできることはないかっていうそういう模索する種になればいいなと思っています。
今日は、ゲストの方来ていただいて、ぜひ、うちの雰囲気とかそういうのを見ていただければと思います。いきなり歌って大丈夫かなみたいな感じも、ちょっと見受けられることもあるんですけど。私も最初そうでしたけど。
自分が1番大事にしてるのは、「みんなのためになるか」どうかで、これ結構大事にしています。今日来れてない人たちも、まあ結構いるんで、そういう人たちにアンカーさん来てもらったこの情報とか、伝えていって広がっていけばいいなと思います。
本日ゆっくり楽しんでいってください。よろしくお願いします。

ゲスト卓話 アンカー学童 地域と共に 松島さん

それでは、始めさせていただきます。本日は、お忙しい中、このような機会をいただき、ありがとうございます。
普段は子供の前で話すので、今日皆さん大人の前なので、ちょっと3人揃って緊張しておりますが、 せっかく呼んでいただいた機会ですので、少しでも私たちの活動を知っていただけるよう、精一杯お話ししたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

私たち特定非営利活動法人コンパスは、現在3つの事業に取り組んでおります。ちなみに、私自身は海老名市の出身ではなく今でこそ韓国ブームで観光地化していますが、私が子供の頃の40年前からたくさんの言語が飛び交い、 この働き方の生活の様々です。同じ時に韓国の方や中国の方、台湾の方、事件もあったりして、海老名のように治安のいい町ではないんですけれども、人と人との関わりがある温かい町で育ちました。私は妹の病気をきっかけに東京の八王子というところで 暮らすことになりました。特に勉強が得意なわけでもなく、スポーツも得意ではなくて、何の変哲もない学生でしたが、いつも誰かに助けてもらいながら、悲しいこともあったり、楽しいこともあったんですけれど、それを友達と分け合いながら、社会人になることができました。現在は子供の仕事について18年になりますが、その前は病院で救急病院のソーシャルワーカーとして勤務しておりました。ソーシャルワーカーのお仕事は、入院中の患者さんやそのご家族の困ったことなど、相談業務を通じてする仕事です。人が生きていく上で、人と人との繋がりがどれだけ大切なのかということを学びました。
人が生きていく上で、誰かに必要とされることが生きる糧となり、そしてそれと同時に、 患者様の中にはギリギリになるまで、もしくは最後まで助けてほしいと言えない人は多いことも痛感する4年間でもありました。

いろんな人生に触れさせていただく中で、子供の時代って実はすごく重要なんだなと思いました。病院での仕事は本当にやりがいもあって恵まれた環境でしたが、思い切って自分のフィールドをそこから子供の分野に移すきっかけになりました。
たまたま知り合いが、この海老名に新しい老人ホームができて、そこに学童保育所が併設されるということを聞き、立ち上げから関わることができました。それがこの海老名というこの町との私の接点です。そこから10年間は本当にあっという間でした。

学童保育は子供のための事業でもありますが、この働きの家庭で育った自分としても、 働きながら子育てをすると決めた女性やそのご家族をそこそ応援できるやりがいのある職場でした。また、この仕事は私にとっても、20代で母を病気で亡くしていたので、今できる最大限の親孝行だとも思っております。
ただ、経済的に困難を抱えるシングルマザーのご家庭や、 お子さん自身に障害があることで学童保育やを最も必要とされる方や、本来誰しもが一緒に過ごせるべき環境である放課後に受け入れできないという不条理との戦いの10年間でもありました。その不条理の中で やめようかなと思ったこともあったんですけれども、ま、それは制度を言い訳にしているだけで、できない理由を並べているだけだと思い、8年前に独立することになりました。それが今のアンカーになります。あのアンカーの方針は、どんなお子さんでも通うことができる、障害があっても、経済的な困難を抱えていても利用できるえ学童を作るということが私の1番の目的でした。
ですが、あのしっかりとした事業計画もなく、資金面もわずかながらの貯金でしたので、今考えると非常に無謀な あの挑戦だったと思います。私自身が皆さんを助けるつもりで始めたことでありましたが、むしろ私の方が助けられることが多かったからだと思います。ほとんどのものが地域の方だったり、保護者の行為で集めてくれた備品や、 手作りのロッカーや下駄箱に、え。お母さんたちが祈ってくれたカーテン、水道や電気、床などは、いろんな設備屋のお父さんたちが、 助けてくれてやることができました。また、制度的にわからないことや、NPOの立ち上げなどもサポートしてくれる周囲の方がいて、

また、そして、一緒に働き始めてくれたのが、昔子供だった子たちが大きくなって戻ってきてくれて、一緒に働くことができました。
私にとっては、どの人も、誰か1人でも欠けていたら、成し遂げられなかった独立だと今でも思っております。
また、それに続いて海老名市としても、単身世帯の保育料の減免であったりとか、障害のある方でも受け入れができるようにのような制度も追いかけるように、整理してくださったおかげで、今は海老名市の全てのことで受け入れがだいぶ改善されてきてると思います。
そんな中、学童保育は軌道に乗り始めてスタートしましたが、子供やその家庭が抱えていることは決して小学校時代で終わるわけではありません。
むしろ、中学校に上がると、子供の学力における差、経験の差、体験の差も顕著に生まれます。

私にできることはなく、保育のプロでもなければ、教育の資格もありませんので、 そのような家庭をサポートする制度もその時、海老名にもなく。中学生になった子供たちのことを、自分が何かできるとはちょっと思えなかったんですが。足踏みしていた私を1歩前に出させてくれたのは、2つの出来事だったと思います。

それは、大きくなった子供で、大学生になった1人の女の子でした。今はANAのパイロットとして訓練をしていて、もう社会人になっているんですが、 その彼女がそういう制度はないんだよねって話をした時に、 海老名で誰もやったことがないんだったら、私たちでやってみようよっていう風に、幼かったはずなのに、逆に手を引いてくれて、一緒に始めてくれたのを今でも覚えております。その時に学童の保護者の方が お父様が急死されたことも、私の中で何か動かされるきっかけになりました。一家の大黒柱の方が一晩で亡くなられてしまった時に、生活が一変することを目の前で見た時に、非常に自分の中で大きく気持ちが動いたのを覚えています。
あの告別式の時に、棺にお子さんたちがしがみついていて、 お子さんが手に紙を持っていたんですね。それはお父さんがよく作ってくれた食事のレシピで、なんかすごくその姿を見た時に できることをやろうと決意して、学習生活支援事業に取り組むようになりました。

あの海老名市としても初めてのことではあったんですが、何度も何度も行政の方と対話を重ねて制度化してくださって、取り組みが開始されました。
保育や教育のプロではない私がこの事業で大事にしていることは、あの子供たちとの距離感です。勉強はあくまでも手段だと思っています。
学力をあげることよりも、子供たちが安心して楽しい場所でやってみたい、頑張りたいと思った時に、私たちが相談できる相手であるから。そう考えた時に、子供たちと年の近い学生スタッフのみんなに力を借りることが、この事業の 大きな支えになると思いました。子供の問題をその分野だけで解決しようとするのではなく、 あえて学生のみんなにもこんな過程があるんだよ。 誰かが困っている時に気づける力を養う上で、子供たちだけではなくて、学生や私たちにとっても相互に働くものだと思いました。

ここからは、実際に子供たちと日々かかっている2人から、活動の説明であったりとか、自治体の様子、、本当に思ったことを、あの話させていただければと思います。皆さんこんにちは。えー海老名生まれ、海老名育ち、23歳中峰陸人と申します。今日はよろしくお願いします。

学童アンカーについて 中峰さん

僕がですね、この団体に関わり始めたのは5年前になるんですけれども、今僕23歳で社会人1年目になります。僕は、日本工学院八王子専門学校通っていまして、国家一級の自動車整備士の資格を取得に向けて、学校に4年間通っていました。今は学童保育の指導員になります。僕が、4年間勉強してきたのは、自動車のことだったんですけれども、アルバイトとして関わっていたんですけれども、残ることに決めたのかっていうことを、少しだけ、お話しできたらなという風に思っています。

僕の家も、単身家庭でお母さんと僕。僕が生まれてすぐ離婚して海老名に戻ってきて、お母さんと2人での生活が始まって、小学生の時とかって、あんまり気がつかないんですけど、 自分の心が成長していく過程で、中学生、高校生になるにつれて、自分の家庭状況や金銭的な部分であったりとか、自分の家が他の家でちょっと違うっていうことに気が付き始めて、 そこには、劣等感だったりとか、他の家と違うっていう感覚はなかったんですけど、どっかで あんまりお母さんに迷惑かけないようにしたいなとか、早く仕事して少しでもお母さんを楽にしたいなっていう気持ちがありました。それと同時に中学生の頃からバドミントンを始めまた。バドミントンってすごくお金がかかるので、どんどん練習しようとすればするほどお金がかかってしまう競技を僕が中学生の時に 始めてしまって、どんどんのめり込んでしまって、結果的に高校では、インターハイまで、出場することができたんですけど、 高校から大学に上がる時に、いろんな大学から推薦であったりだとか、うちの大学で、日本を目指さないかみたいな話もいただいたんですけど、どうしても自分の家の状況、お母さんがかなり無理して、あのうちのお母さん、大型トラックの運転手をやってるんですけど、かなり体に鞭を打って、トラックを運転してるのを知ってて、少しずつ、お母さんの心が疲れていくのを、一緒に生活をしながら感じている中で、どこかこのまま続けたいって気持ちもあったんですけど、このまま続けるんじゃなくて、早く家に 貢献できるように手に職つけようと思って、専門学校を選んだ経緯になります。

今ここに立ってる松島がアンカー設立する前に働いていた学童に通っていた子供でした。
今松島って呼んでますけど、実はノッチって僕呼んです。ノッチに小学生の時見てもらって、専門学生の時に ノッチが立ち上げたアンカーにアルバイトとして関わり始めたのがきっかけは、海老名の商工会議所さんが主催のイベントに司会をやらされるっていう無茶ぶりをされました。そこから 少しずつアンカーっていう学童を理解していくにつれて、もう少しこう子供への寄り添い方みたいな部分は、 僕だからこそ若い子供の気持ちとかもあるし、若い僕らだからこそ、先生でもないし、友達でもない、 中途半端ではあるんですけど、斜めの関係、子供から教えてもらうこともあるし、逆に子供に教えることもできるし、なんか、その関係がすごくいいなと。どんどん深く、のめり込むようになっていきました。


働くスタッフも、 10代後半から20代前半が7割、8割を占めていまして、僕のように小学生の頃、ノッチに見てもらってた子供が今一緒にアルバイトしてたりとか働くようなものをシャケって呼んでるんですけど、シャケが 半分ぐらい、もう半分ぐらいがそのシャケの友達たちですね。20名弱の学生で今運営している状況に。20代後半から上は74歳まで のスタッフが一緒に働く現場になっています。
主にその学習支援の方に関しては、ノッチ以外は全員25歳以下で構成されています。基本的には学生たちで子供を見て、学生たちで子供の支援の方法であったり勉強も大事なんですけれども、それよりも何かこう自分が大事にしているものだったり、僕で言うとバドミントンだったりとか、僕は高校から大学に上がる時にやめちゃったんですけど、それを諦めなくてもいい方法であったりとか、少しでも自分のやりたいことを見つけられる、お手伝いであったりとか、子供たちの背中を押してあげることが、僕たちのいまできること。逆に子供たちに背中をされることもあって、もっと頑張れよって言われることもあるんですけど、この野郎と思いながら、日頃楽しく子供たちとは、接することが できているのが現状です。ただ問題を抱えたあのご家庭のお子さんってすごく多くて、 僕も自分のやることしかわかんなかったんですけど、本当に、ヤングケアラーって、テレビでしか聞いたことなかったし、 外国籍のあの親御さんで、日本に頼れる大人がいなかったりとか、そういった家庭の子供たちを実際みると、今まで自分の中であんまり感じなかった感情というか、僕は特に母子家庭で生活してきたから、一緒に働いている仲間たちも、 なんかできないんじゃなくて、どうやったらできるかを一緒に考えようっていう仲間たちが僕らの周りにどんどん増えていっていて。ただみんな社会人になると出ていっちゃうんですけど、少しずつ仲間は、減っていっちゃうんですけど、でも、これがのいいところだなと思います。今見てる子供たちが、僕らのようにあの、大きくなって、もうすでに僕が入った当初 あの小学6年生だった子たちが高校1年生になって、今一緒に子供たちをあの見てる立場になっていて、 人は出ていくんですけど、それと同時に、子供たちもどんどん成長してるので、働く仲間であったりとか、一緒に活動を進めていく仲間たちがどんどん増えていっている状況で、あの、土曜日、日曜日になると、今まで一緒にやってた仲間たちが戻ってきてくれて、また一緒になんか面白いこと考えてみようか、子供たちが楽しめるようなお祭りであったりだとか、 一昨年やったものは、何百キロも塩をかって死海を作って、子供たちと一緒に浮いてみたりとか、なんかしょうもないこともでも心がワクワクする、子供たちのやりたいに寄り添って、 じゃあみんなでどうやったらできるかを考えようっていうことで、ご協力をいただいて、実現をさせてもらっているので、 本当にこれからもたくさんの方に協力していただきながら、自分たちだけでできないことがほとんどなんですけど、僕らに今できることは、子供たちがやりたいって言ったことであったりとか、自分たちがやってみたい、挑戦してみたい いったことをこう発信して、それを皆さんに、今日のように、聞いていただいて、背中を押していただいたりとか、何かこう、一緒に参画できる あの部分があれば一緒にやっていただいたりとかすることで、なんか僕たちにとってもすごくこう経験になるし、それがまた5年後、2年後の糧に。今の僕、普通の23歳だったら、こんな場でこんなお話をさせてもらうことって、 絶対今社会人や1年目の目立ってないんじゃないかなと思っています。こんな貴重な経験をさせてもらってるのも、 この活動をやってきて、あの皆さんにこう出会ってできてることだと思うので、それをどんどん、これからさらに広げていけたらいいなと思って活動進めてます。

海老名市国分寺台 よりみてぃについて

はじめまして。僕は29歳の渡辺と申します。よろしくお願いします。お手元に配布させていただいたよリミティっていう活動をちょっと今からお話しさせていただくんですけど、すごく緊張してるので、ちょうどバスが置かれた辺りぐらいの時に、あのNHKさんに取材受けて、 報道してもらったので、僕から伝えるんじゃなくて、見てもらおうかなと思います。よろしくお願いします。

多い時は100人ぐらいの子供が遊びに来てくれてて、今駄菓子屋を中でやっていて、そのまずは子供たちが遊びに来てもらいやすいように駄菓子を選んで、活動しています。今日はその中で嬉しかったお話を少しさせていただきます。あの地域の中でも、やっぱり困難を抱えている子供というのは いて、それこそ1人で毎回来て、どうしたの。って聞くと、やっぱ暇だったとか、家にいても何もないみたいな子が来てて。でも、 数ヶ月間で本当にすごい成長だなと思うことがあって。

その1人で来てた子が、他に来てる子たちとまずは挨拶から始まって、そっから今度は一緒にお菓子を食べるようになって、で、そっから、 スクラッチだったり、クジだったりを、なんか一緒に遊んだり、喜んだりしてる姿を見て、 あの、本当に子供たちが、まず、お互いを知り合いと言われる関係性を自分たちで作ってるのがこういう場所を設けさせてもらって、ものすごく嬉しいものだと感じます。

子供たちだけじゃなくて、その子供がお菓子選んでる間に、保護者の方々が、そこも挨拶から始まって、で、なんか 談笑が始まって、今度は子供の不満を、あの育児の不満を、 なんか笑いながら話しているっていう姿を見られて、本当に、この数ヶ月間でコミュニティの目が出てきたっていう部分では、ものすごく自分たちが活動していて嬉しいことだなと思っています。自分たちもそうなんですけど、 年齢を問わず、夢だったり悩みだったりっていうのを、ぽろっと口に出せることで、もしくは、ぽろっと口に出せるような環境を 作っていくことが、大事だと思っていますので、これからも、僕たちはよりみてぃでそういう環境を皆さん、子供たちにも親にも提供できたらなと考えています。

学生たちの話を聞いていただいて、ありがとうございます。アンカーは子供が約80名いるんですが、そのうちの20名が単身家庭のお子さんになります。
学習生活支援事業では25名の生活困窮家庭の補佐を受け入れています。

その中で、地域の人と町を作っていくってすごく大変なことだなと思うんですが、 町の中の課題って決して学童保育だけにあるのではなくて、例えば自治会や商店街の高齢化であったりとか、 今話にもあったように、学童の外にも困ってるお子さんだったり、いろんなケースがあります。

まちづくりという言葉の中には、私は多くの意味があると思っています。
また、取り組みや話し手によって、その意味も眼差しも少し違うと思っています。
もし私たちがまちづくりってなんだろう。って私たち団体として答えるのであれば、私たちが思うまちづくりは、

1人でやるのではなく、誰かとできるようになることだと思っています。1人でもできることってあると思うんですが、 お互いの思いを共有したり、お互いのできることだったり、アイデアを出し合うことで、海老名という場はもっともっと良くなるんじゃないかなと思っています。
子供だけでなく、私たち大人も誰しもが自分の心の中にそんな思いを持つことが、より良くなることなんじゃないのかなと思っています。

えー、私は、あの、自分自身を成長させてくれたのは、もちろん親でもありますが、たくさんの大人たちでした。子育てするのは親だけじゃなくていいと思っております。そして、今、私自身を成長させてくれているのは、あの大人だけでは、 だけでなく、子供たちだったり、ここにいる若者たちだったり、また、皆さんにこういう機会をもらうことで改めて振り返ることになっています。あの子供たちには経済的な支援はできませんが、バスを通して、学童をして、町を通して、 出会いのきっかけになるような居場所を作りたいと思っています。
そのためには、今日皆さんがくださったこのような機会で、子供たちの問題を自分たちだけで考えるのではなく、いろんな人に知ってもらうことが重要だと思っています。

そして、そのことに共感してくれた人が集う場所を作ることが、次の順番を生み出すと考えています。
参画できる本棚を町の人と皆さんとこれから作っていきたいと思っています。ぜひ、ご興味を持っていただけたら、 あの遊びに来ていただければと思ってます。また、本日はこのような機会をいただき、本当にありがとうございます。

すごく、緊張しましたが、自分の経験にもなったので、すごくありがたい場だと思っています。ありがとうございました。

またこの会場に、あのシャケみたいに戻っていきたいと思います。どうもありがとうございました。

今日の例会場

出席報告

会員総数 出席 出席率 
34名 25名73.53%

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